衝撃!!高橋名人ってゲーム下手だったの!?【5/28 しくじり先生 俺みたいになるな!!】
こんにちは。
のんびりとのんきに生きて行きたいと願いながらも、いつも何かに怯え孤独に苛まれているのん孤です。
さて、アラフォー世代の人なら『高橋名人』のことを知っている人が多いのではないでしょうか。
そんなファミコン世代の寵児『高橋名人』が実は!!ゲームが下手だったということが判明したのです!!
のん孤も衝撃を受けました!!
『高橋名人』は1982年ハドソンの宣伝部のいち平社員として入社し、普通に働いていたそうなのですが、ある日社長にこう言われたそうなんです…
「お前、今日から高橋名人な」 by HUDSON
な、なんと高橋名人はゲームの上手さから有名になった人ではなく、作られた虚像だったのです!!
もちろん社長は、高橋名人がゲームが上手いか下手かなんて知らなかったし、どうでも良かったみたいです…
1985年に開催された『全国キャラバンファミコン大会』というゲーム大会をどうやったら話題に出来るか?ということを毎日のように会議で話し合っていて、「社員の1人を有名にしよう!」という話になったのだそうです!
そうして、高橋名人は社長の命に逆らえず、ここから『高橋名人』の道を歩むことになったのです…
ただ、高橋名人のこの時のお給料は、一社員としての年棒だけだったそうです…
勤務時間も連勤が続き、自分の名前の入ったゲームや出演動画のロイヤリティは全くなかったとのこと。
会社から言われたことをなんでも「はい、はい」と何でもきいて働いている人へ、高橋名人も警鐘を鳴らしていました。
『会社からの指示に対して、常にうなずきを連射せず、時にはストップボタンを押して考えよう』
なんだか、今の労働問題にも通じる結びとなりました。
辛くても『高橋名人』をやってこられたのは、『子供たちを笑顔にしたかったから』とのことでした。
そして、高橋名人の目標は
『高橋名人』はゲームの名人ではなく、人々を笑顔にする名人でいたい
になったそうです。
現在、ゲーム企画や開発の会社を経営している高橋名人は
『子供たちを笑顔にする、ゲームをやっていると笑顔がでる。そんなゲームを子供たちやみんなに伝えていきたい。』
『ゲームを通じていろんな人を笑顔にする』そういう名人になっていきたい。
「人生楽しまなきゃ、ハド損」
という言葉で締めくくられました。
そうですよね、本来、ゲームってそういうものであってほしい。としみじみと思ったのん孤でありました。